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Q.創業のきっかけを教えて下さい。

今から約40年前の昭和46年、我が国が戦後の物不足から開放され、正に高度成長期真っ只中であった時代。 創業者であり、私の父である佐藤憲雄31歳。
高校を卒業し、一般企業での勤務の後、学生時代からの高い志を 実現すべく既に別の会社を起業しておりましたが、激動の時代、何か新たなビジネスはないか!?倉敷の高梁川 の堤防で日々思案していた時、ふと道路を見ると、水島コンビナートに行きかうトラックの帰り便に空車が多いことに 気付き、「よし、この空車に帰り荷を付ける仕事をしよう」というところからが当社のスタートであります。
資本金250万円、車両4台、従業員4名で、貨物運送取扱事業(現、貨物自動車利用運送)とともに一般小型自動車運送事業として有限会社日の出運輸を創立。社是に「誠心誠意」を掲げ、大きな夢を描いての船出でした。
”日の出”という商号も、日の出の勢いで躍進を果たすという強い信念の表現であったと聞いております。 尚、この時私は若干6歳でした。

創業者 佐藤憲雄
Q.日本の高度成長期といえどもご苦労もあったでしょうね。

徹底的に他と違ったのは、先代が健常者でなかったことです。
昭和42年、当時建築資材の製造会社を運営している際、工場内で生死をさまようまでの大事故に遭い、 奇跡的に生還しましたが、右足大腿部以下を切断。以降、義足の人生になりました。 しかし、母親の懸命な看護の甲斐と、「一度死んだと思えば何でもできる」という超人的な精神力で当社を設立し、 躍進を遂げました。
又、時代的には、昭和48年のオイルショックと、その影響を受けた翌年の戦後初のマイナス成長から厳しい経営 環境にされされました。 しかし、ここで、先代はこの不況をチャンスと捕らえ、軽油をどこよりも安く仕入れ、県外からの同業者に安く提供 する手法により、当社に車両が集結し、更にその空車に帰り荷を提供するという、当時としては画期的な共存共栄 のシステムを構築し、世に日の出運輸の存在を知らしめました。

株式会社日の出運輸昭和55年
Q.その後の日の出運輸はどのような成長を遂げたのですか。

その後、当社は、紆余曲折もありましたが、良いお客様と従業員に支えられ、創業から6年半程経った頃には、 現在の本社所在地に営業本部と輸送主管センターを新設。
そして、創立15年目には、車両100台、従業員160名、出店数14店舗、年商55億円の企業に成長しておりました。 尚、その頃には、事業の円滑化を図るため、車検・整備の日の出自動車(株)、油脂販売・損害保険の代理業 を行う日の出興産㈱も設立していました。 この頃の当社は、正に日の出の勢いで成長を遂げており、大学生だった私も毎日のように配車の応援のため 講義の後は事務所に通っておりました。

㈱日の出運輸15周年の記念式
Q.先代の社長は社長の顔ともう一つの顔を持っていたと聞きますが…。

忘れもしません。昭和63年のクリスマス、家族にも何の相談もなく、突然の倉敷市議会議員選挙への立候補表明をしたんです。 選挙は約1ヵ月後の1月末日。異例の立候補表明に、マスコミも注目する中、もうやるしかありませんよね(笑)
昼夜を問わず、家族・社が一丸となって過激スケジュールで応援し、見事初当選に輝きました。 先代としては、自らの経験をもとに障害者福祉への貢献を熱望し、社業との二足のわらじ生活を決心していたんです。
その後、4期に渡り、地元倉敷市のために汗を流しました。
そして、私の生き方・企業運営の考え方の根源は、正にこの先代の生き様の象徴だと自負しており、それは、 義足の父親と人生を歩むことで、本当の意味での親切を知ることができたからです。 階段の上り下りには、誰かの手や肩があれば進み易いということもあり、私はよく補助をしておりました。 でも、タイミングが違うとか、いらない時に手を差し出すと、バカにするなとか、よく怒鳴られたんです。
結局、その頃は、健常者として生きたいという父の気持ちが解ってなかったんですね。私の自己満足に終わり、 相手の本当の思いや望みを理解し、あくまでも、自立のための補助・援助をするべきであることに気付いていな かったんですね。
実は、当社のCSR経営理念考働指針等の概念はこの経験がルーツなんです。
今でも先代(父)には深い感謝の念でいっぱいです。

Q.そして、この頃というのは、日本のバブル経済が崩壊した時代でしたが、日の出運輸は影響を受けなかったのでしょうか。

お陰様で、当社はほとんど影響は受けませんでした。なぜなら、それが当社の事業の強みなのです。
まずは、①貨物自動車利用運送事業ですが、不景気になると基本的に物が動かないため、同業他社は荷物の獲得が困難になるのです。そこにチャンスがあったのです。当社はこれまでの事業展開の中で膨大な顧客・協力会社網 が構築され、他社をしのぐ情報が集約される会社になっていたのです。”日の出に依頼したら何とかして くれる”ということから、それまで以上の仕事の依頼がきたのです。
②また、貨物自動車利用運送事業は情報収集がビジネスの基本ですから、大きな設備投資が不要なこと。
③更に、当社の取引先は大口だけの集まりでないこと。1社2社に事故が起きたとしても他での補填が可能なんです。
④そして、何よりも、社員一人一人が経営者意識を持って日々尽力してくれていることです。 尚、平成3年には、ロウズ観光(株)を設立し、翌年には当社本社ビルも新築しました。

創立20周年式典/ロウズバス車庫建設
Q.正に順風満帆ですね。
当時の事務所風景

苦労もありました。平成7年1月17日に突如起こった阪神淡路大震災では、我が社の事業運営の最低条件である道路が遮断され、お客様に荷物が指定通り届けられないという、苦しい思いをしました。山陰地区を迂回して輸送するなど、全社を 挙げて昼夜を問わずの運行に励みました。乗務員さんには特に苦労をかけたと思います。
又、バブル経済崩壊後、景気低迷が続く中デフレ経済が進行し、いわゆる価格破壊が起こり業界全体が厳しい状況にされされ倒産を余儀なくされる同業社も頻発しました。 しかし、当社は本当にあらゆる面で恵まれているのでしょう、苦しい時にこそ、他社との協力体制を強化してきた お陰で、多くの方々のご支援ご協力をもって、平成12年には、創立30周年を迎えることができ、車両約200台、 従業員数約300名、年商約90億円の企業に成長しておりました。

Q.時代の変化とともに社会のニーズも変化してきましたが、何か変わった、又、変えてきたことがありますか。

価格破壊が進行する中、それまでの”ただ物を運ぶだけ”の業態ではお客様を始めとする社会に信頼されなくなったことだと思います。ご存知の通り、「安いものは悪い、高いものは良い」の認識から「安くて良いもの」が 当たり前になってきたんですね。そうです「付加価値」の創造が必要になったんです。
それからというもの、当社は、それまでの安全・確実・迅速・丁寧な配送品質に加え、更に、お客様にとっての ベストを考え、ソフト面での新たな物流提案をするという体制へと変革するべく、様々なサービスを創設して まいりました。 又、平成15年頃でしょうか、世界的な環境保全意識の向上、国内外での企業の不祥事などを受け、日本でも 企業の社会的責任(CSR)が叫ばれるようになり、当社としても、コンプライアンスはもとより、当社にできるCSR とは何かを考えました。 そして、その結果はすぐに出ました。それが、「当社のCSR」に述べる内容なのですが、特に、超低公害車 の大量購入は意を決して決断しました。というのが、この導入期は、平成16年1月、それまでのデフレの影響に 加え、運輸業界に対する各種規制が強化され、速度抑制装置の装着義務、又、首都圏を含む大都市圏の環境 規制が強化される手前。多くの同業他社が倒産に追いやられた時代であり、当社も決して余裕のある状況では ありませんでした。

しかしながら、当社と致しましては、公共道路を利用する以上、そのニーズは当然のものと受け止め、大都市圏に入る車両に留まらず、全車を対象に、まずは約8億円を投じて20台の超低公害車を一括購入することから始め、更に随時新車への代替を進めていきました。 又、17年5月には、念願でありました当社独自のISO9001・14001の統合マネジメントマニュアルを策定、認証取得を実現し、益々の顧客満足と環境配慮の安定的拡充を目指す仕組みを構築することができました。 いずれも大きな決断でありましたが、その甲斐あってか、お客様、又、地域からの評価も確実に高まり、現在の 取り引きに大いに活かされています。

Q.平成16年といえば、もう一つ大きな出来事がありました。

創業者であり父佐藤憲雄の往生です。 二足のわらじで尽力していた議会の行政視察中に不慮の事故に遭遇し、治療の甲斐なく、翌日に往生しました。 正に天変地異の出来事であり、会社、家族、多くの関係者に激震が走りました。 しかしながら、先代が丁寧に積み重ねてきてくれた様々な基盤のお陰をもちまして、従業員も一丸となって社を支 えてくれる決意をしてくれたことにより、仏前でこれまで以上の躍進と社の永続的繁栄を堅く約束致しました。 それからは、私も含め、役員、従業員がそれぞれの中にそれぞれの先代を思い浮かべながら日々の業務に邁進 してくれています。

一期一会
Q.社長に就任して変わったことがありますか。

やはり、一番は全てのステークホルダーへの責任感ですね。これまで先代が抱えていたもの全てを守り、発展させていく強い信念。日々、社長室の窓から全社を見渡し、自分にはこれだけの従業員とその家族、又、取引先を守っていく責任がある。運行に出て行く車両を見ると、絶対に事故を起こさないように、と、いつも神に祈る思いであります。
しかし、その祈る思いと同時に、役員を始め、従業員や関係者に自分が支えられていると言うことにも気付き、感謝の念に変わるのです。そういった思いから出来上がったのが、サンキューコムというセカンドシンボルマーク、そして、経営理念、考働指針であります。私自身、常に現状の自分を自己否定し、社会人としての前に人としての価値を高めていけるよう心がけているつもりですし、当社の従業員とはこの気持ちを共有したいと熱望しています。

日の出グループ全国の実務者研修会・新年互礼会
Q.社長に就任して変わったことがありますか。

はい、かねてより計画はあったのですが、平成23年10月に実現することができました。 当社は長年、岡山県倉敷市に本社を置き、全国の物流拠点を通じてお客様に物流サービスを提供してまいりましたが、拠点数も50を数えるまでとなり、従来の中央集権型の企業運営では全国に数多あるお客様それぞれのニーズに十分お応えすることが困難となってきたことから、各地域への責任と権限を大幅に委譲すべく、分社化という手法を取ることといたしました。
これにより、従来の「株式会社日の出運輸」は「HINODE&SONS株式会社」へと名称変更により持株会社へと移行し、新たに、全国7か所に子会社としての「株式会社日の出運輸」を新設いたしました。 社名の由来にもありますが、「日の出とその息子たち(SONS)」という言葉どおり、親会社と子会社が、まさに親子のように心を一つにして永続的繁栄に向け邁進したいという思いがあり、各地域で産声を上げたそれぞれの日の出運輸には、これまで通り、またこれまで以上にお客様に愛され、各地域に根付いていってもらいたいと切望しています。
なお、当グループは分社化以降も更なる変革を続けており、平成24年10月にはかねてより計画していた2本社体制の具現化として東京都足立区にHINODE&SONS営業本社を開設。また、平成25年10月には当社の創業の原点ともいえる物流取扱事業をより高度化、専門家すべく新会社「FITA JAPAN LOGISTICA」を設立いたしました。 また当グループでは、経営理念に共感頂ける企業とのM&Aによる当グループ参画も積極的に進めており、これにより従来では行えなかったサービスや、各社の強みを活かした新たなご提案など、より幅広い事業展開が可能となると考えております。

Q.最後に今後の抱負を伺わせてください。

昨今、我が国は多くの問題を抱える社会情勢、不安定な経済動向の中にありますが、当グループとしましては、今後も、これまで当グループが培ってきたノウハウと強みを充分に活かした経営戦略を更に深化させ、グループ全体の創業力を活かした社会提案企業、すなわち当グループの考えるオンリーワン企業へと成長していきたいと考えており、今後はそのステップとしての株式公開に耐えうる企業体質の構築に全力を傾けている所です。これからも、私自身、精進を重ね、堅忍不抜の精神で邁進していきたいと思います。

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